7 月「月初朝礼挨拶」の担当は鈴木です。
7 月1 日から7 月7 日までの一週間は毎年「全国安全週間」とな
ります。今回は全国安全週間にちなんで「産業安全運動の歴史」についてお伝えしたいと思います。
初めて全国的に統一して「全国安全週間」が実施されたのが、1928(昭和3)年7 月2 日から7 日までになります。その後一度も中断することなく続けられ、今年で94 回目となります。
当時の時代背景を説明します。第一次世界大戦後の日本の景気ですが、1929(昭和4)年のアメリカを発端とする“大恐慌”の世界的な波及によって深刻な打撃を受け、企業は厳しい合理化 を迫られ、人員整理、倒産が相次ぎました。低迷の続いた景気も、1931(昭和6)年に勃発した満州事変をきっかけに軍需の増大によってようやく回復に向かいました。特に重化学工業は高い伸びを示しました。そして重化学工業は災害発生の多い業種でもありました。
またこの時期は、大正時代に芽生えた安全運動が民間・行政の各分野で一斉に広がりを見せた時
期でもありました。先述の安全週間の全国統一実施もそうですが、1932(昭和7)年には初の全国産業安全大会が開かれました。
昭和に入り安全活動が盛んになるにつれ、製鉄、造船、炭鉱などの大企業を中心に、企業による作
業標準づくり、家庭への呼びかけ、安全委員会の開催、安全競争の実施などの安全活動を展開す
るようになりました。しかし、1937(昭和12)年に始まる日中戦争以後、次第に戦時色が濃厚となり産業安全活動は長い停滞の時期を迎えます。
敗戦によりGHQ の民主化政策の矢継ぎ早の実施の中で、1947(昭和22)年に工場法に代わる「労
働基準法」が制定されました。そして1950(昭和25)年の朝鮮戦争を契機に日本経済はようやく復興の兆しを見せる様になりました。
昭和30 年代に入り「もはや戦後ではない」という言葉が使われ、技術革新があらゆる分野で進みました。それに伴い労働災害の大型化、新たな職業病の発生という問題が生じました。1961(昭和36)年には死者6,712 人とピークを記録し、死傷者数も81 万人(休業1 日以上)を超えました。産業社会の進展に即応できる労働災害、職業病防止のための総合立法の必要性が叫ばれるようになり、1972(昭和47)年に「労働安全衛生法」が制定されました。
その後、1973(昭和48)年のオイルショックを境に高度経済成長も幕を閉じ、労働災害に占める高齢者の比率が、1981(昭和56)年には50 歳以上で30%を超えるなど年々高くなってきました。労働災害は労働安全衛生法が制定されてからの10 年間で、休業4 日以上の死傷者数は4 分の1 減少
し、死亡者数は半減しました。
時代は進み、昭和の終わりから平成3(1991)年前後まで続いたバブル経済でしたが、一気に崩壊
し深刻な不況期に入りました。労働災害は、死傷災害、死亡災害ともに労働安全衛生法制定後の
20 年間で半減し、“災害未体験世代”への対応が課題となり、安全体感教育なども生まれました。
2002(平成14)年以降、新興工業国やアメリカの景気拡大に支えられた時期もありましたが、2008(平成20)年のリーマンショックにより更に大きな経済収縮をもたらしました。そんな状況下、社会のグローバル化により安全衛生マネジメントシステムやその中核的な取り組みであるリスク低減のためのリスクアセスメントが一躍脚光をあびる様になりました。
又、少子高齢化、女性の社会進出、第三次産業比率の増大、パート・派遣労働者の増加、深夜業
の増加、IT 化の進展、社会経済状況に様々な変化が生じ、能力主義や成果主義の導入が広まりま
した。このような背景の中で、厚生労働省が2002(平成14)年に実施した労働者健康状況調査で
は、仕事や職業生活に強い不安やストレスを感じる労働者が6 割を超えるなど、メンタルヘルスへ
の取り組みが重要な課題となりました。
そして現在、2020(令和2)年に新型コロナウイルス感染症が広がり、今も全世界で猛威を振るっています。緊急事態宣言を受けてのリモートワークや外出自粛などによる経済の縮小により、全体として労働災害は減少傾向です。
しかしこれからの労働災害の課題は、減少数のみに着目するのではなく、今以上に根本原因を追
求していかなければなりません。少子高齢化やパート・派遣労働者の増加に起因する高年齢未経
験者の増加、災害未体験世代の増加などへの対応です。技術の伝承に加えて“安全教育”の仕組
みづくりが急務になります。仮想現実(VR)を使った疑似体験などを利用して、より実践に近い体験を経験として取得し、危険に対しての感性を高めていかなければならない時代に入りました。
御安全に!