『NHKで放送中の、大河ドラマ“真田丸”ゆかりの場所が大阪市内にあるよ。記事のネタに行ってみたら?』と、本社のNさんがアイディアを下さり、それならば編集部の3人で行ってみよう!ということで行ってきました。
そもそも、編集部3人は大河ドラマを全く見ておらず、『真田丸って何?人?』『誰?』というレベルでした。玉造に何があるのか、予備知識はゼロでした。歴史に詳しい方ならご存知かと思いますが、真田丸とは“真田幸村が造った城”らしく、大坂夏の陣・冬の陣にて徳川軍から大阪城を守った砦でもあるそうです。
その真田丸の跡地が現在も大阪の玉造に一部残っていて、見学することができました。
JR玉造駅を降りてすぐ、玉造商店街では真田丸フェアが展開されていて、あちこちに六文銭(真田家の家紋)が描かれたポスターやのぼりを見かけました。
ガイドマップを見ながらまず向かったのは『円珠庵』。鎌八幡とも呼ばれ、大坂冬の陣の際、真田幸村が榎の木に鎌を打付けて必勝を祈願し、戦勝をあげたと伝えられる場所です。
境内は写真撮影が禁止されていて写真を撮ることは出来ませんでしたが、境内は木々が鬱蒼として静まりかえっていました。真田幸村が鎌を打ち付けたとされる榎には、おびただしい数の鎌が同じように刺さっていて、何とも禍々しい印象でした。この円珠庵というお寺は縁切りのお寺としても有名らしく、なるほど納得です。お悩みの方は是非。
次に向かったのは『心眼寺』ここには境内に真田幸村のお墓がありました。(当時の大阪は徳川幕府の直轄地であり、豊臣勢である真田幸村のお墓をつくることは許されなかったそうで、死後400年目である2014年10月にようやく“真田左衛門佐豊臣繁之墓”として建立することができたそうです)お墓の前に、六文銭の形にお賽銭が並べ供えられてました。
最後に『三光神社』に向かいました。ここには真田幸村の銅像と、真田幸村が大阪城まで繋がる穴を掘らせたといわれている真田の抜穴跡がありました。現在ではその穴は、地震などで崩れてしまい大阪城には通じていないそうで、入口に鉄格子が嵌っており、内部を覗くことしかできませんでした。残念。
今回、これらの寺社を見てまわることで、身近な場所に遺る真田幸村の歴史の片鱗に触れることが出来、それまで全く興味も知識もなかった私でも楽しめました。大阪近辺にお住まいの方は是非行かれてみてはいかがでしょうか。
記:営業グループ 増井